祖父から教えてもらったこと。
OURHOME Emiです。東京出張の前日、最愛の祖父が天国へと旅立ちました。
息を引き取ったと父から電話があったとき、悲しいのと同時に頭の中には、翌日の東京出張が…。
でも、行くことに全く迷いはありませんでした。
代わりのきかない仕事をしているという覚悟は自分なりにあります。さらにテーマは起業する女性を応援する講演会。
約60年前に神戸で起業し、自営業のDNAを私に与えてくれた祖父から「えみちゃん、行って来なさい」と言われている気がしました。
「真面目に、がんばりすぎず、でもがんばること」
「でたらめをしないこと」
「体に気をつけること」
私が会社員を辞めて独立し、開業届を出したのも祖父とおなじ7月5日。この言葉は、起業するといったときに祖父からもらったものです。
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トークイベントでお話をすることが決まっていたから、向き合ってしまうと話せなくなる気がして、あまり祖父との思い出を考えるのをやめていました。
東京での仕事をいくつか終えて、お通夜が終わり葬儀場に宿泊していた家族と、祖父と出会えたのは夜の23時半。悲しい涙と、さっきまでの高揚感と、いろんなものがないまぜになりました。
無事葬儀を終え、仕事もようやく落ち着いた今日。
ふと、以前、祖父と話した日のことを思い出し、マイノートを開きました。この水色のCampusのノートに書いてあることは覚えていました^^
起業することにしたよと報告した日のメモです。祖父が起業した時のことを教えてくれました。
- 仕事は3年やったらだいたいのことは掴める。(いくつか職を変え、30歳で独立)
- 少しだけ大きな話をして自分にプレッシャーをかけてきた。
- 応援してくれる人を10人見つけなさい。
- 何歳で土地を買い、何歳で家を買うと全て計画をたてていた。
- ラッキーナンバーは幸せ(しあわせ)の「4」。人がみんな嫌う数字だから。
起業した当初は、電話はレンタルで借りていたそう。それを購入できるようになるのがひとつの目標だったとか。
私は、働く祖父祖母、父母をみて育ちました。ずっと忙しそうだったから、小さい頃の自分はサラリーマンと結婚したいなあなんて憧れていました。
私は一度はサラリーマンになり、まさかのまさかで30歳で独立。夫婦で経営というまったく同じ道を進んでいます。
今思うのはDNAはやっぱりご先祖からいただいているんだなあということ。祖父が話していた意味も今となってはよくわかります。
年を取り、今日食べた食事も、ついさっき見たテレビも忘れてしまっても、仕事の話をするときはいつも饒舌でした。
お葬式の日、見上げた空がとても綺麗でした。
おばあちゃんの誕生日に旅立った祖父。誕生日に会いに行くなんて、なんてすてきなことでしょうか^^
さきほど久しぶりに、祖母がなくなって俳句集をつくった日のブログを読み返しました。今頃天国で会えているかな?
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それから、出張の帰りの新幹線であげた私のインスタグラムに、たくさんのコメントをいただきました。みなさんからのコメントがとても力になりました^^
さて、明日はまた企業様で講演会です!がんばります^^