祖母との思い出。
夏休みの旅行にいく少し前から、必死で取り組んでいた事があります。
それは、私の祖母の「俳句集」づくり。
1年前の記事を覚えていらっしゃる方もおられるでしょうか?
祖母が詠んだ句をまとめて1冊の本にすることになっていました。
あのあと、「えみちゃん、もう少し句を厳選するから待っててよ。」
と言った祖母。
その後、急に体が悪くなり、
急いで作らなければ間に合わないと、母も私も思っていたけれど、
なかなか、なかなか言い出せなかった…。
夫が単身赴任でいなかった半年間、子どもたちと週末に実家に通っていたのは、
闘病中の祖母に会うためでもありました。
長年ペーパードライバーだった私の運転に、
「えみちゃんが運転する車にのるとは思ってもみいひんかった。」
そういって、喜んでくれた祖母を乗せて、
ヘアサロンに髪を切ってもらいに連れて行きました。
先月は、もう外出なんてとてもじゃないけれど出来なくて、
私が、おばあちゃんの髪と眉毛を切りました。
下手っぴだったけれど、喜んでくれました。
細かった足は倍ほどに腫れ上がり、
双子たちが「いたいのとんでけ〜」とさすったこともあったな。
先月、もう俳句集をつくるのは諦めたと思っていたおばあちゃんから、
「やっぱり最後につくりたい」と言葉が出て、
急いで、急いで私が原稿をおこしました。
一句、一句、私がパソコンで打ち込みながら、
家族のことを思って詠んでくれた歌がこんなにもあったんだと知りました。
愛情がつまった俳句でした。
印刷やさんには、事情を話し、急いで見本誌をつくっていただくようお願いしたところ、
迅速に対応していただき、先週の19日に届けていただきました。
ちょうど、その2日前から意識が朦朧としてきたそうで、
母から、「もうおばあちゃんは確認はできひんと思うわ…」と言われていて…。
病室に届けたとき、それまであまり目もあいていなかったし、
話もそんなにできなかったのに、
ベッドの上に横たわる祖母に俳句集をみせると、
目を見開いて、必死で見ようとしてくれて、
「ありがとう、ありがとう…」
と言って涙を流してくれました。
苦しそうで、しんどそうで、何て声をかけたらよいかわからなくて
「おばあちゃん、大好きやで…ありがとう」
としか言えなかった私…。
その日は、俳句をひとつひとつベッドの横で私が詠みました。
私が読み方を間違えると、首を振る仕草をします。
最期まで耳はしっかり聞こえていました。
次の日、20日の朝、息を引き取りました。
最期に、俳句集を見せてあげることができて本当によかった…。
今も、書きながら涙がとまりません。
お葬式には、俳句集を棺に入れることができました。
弟が、おばあちゃんがいつも使っていた「赤えんぴつ」を一緒に入れていたので
真面目なおばあちゃんのことだから、もしかすると、赤字で修正が入るかもしれませんね。
「 さくらんぼふたり子生るる日の間近 」
平成21年、私の双子出産前、玄孫を待ちわびて詠った歌。
私の七五三や、受験など、節目節目でも句を詠んでくれていました。
今日はとっても重たい記事で、書くのをどうしようか迷ったけれど、
今の私があるのは、小さなころに、
おもちゃがなくても、目の前にあるもので工夫して遊ぶことや、
布団のシーツの掛け方や、掃除の仕方など、家事を教えてくれたり、
真面目に続けることの大事さを教えてくれたおばあちゃんがいたからなので、
今回のおばあちゃんとのことを、書かずには前に進めないと思って、記事にしました。
長い記事ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
おばあちゃんは最期に、父に
「わたしの人生、よかったよ」と言ったそうです。
私もそんな人生を歩めるように、頑張りたいなと思っています。